地蔵院の歴史

~平安末期に開山、武田信虎公が一大法要も営む~

 地蔵院の基となる茂林庵は真言宗で、塩山の放光寺の一世賀賢上人の高弟慧賀上人により平安末期の寿永二年(1182)二月に開山、中納言右衛門督藤原信頼卿の庶子住経の子藤原朝臣「茂手木七郎兵衛門信定」により開基されました。信定幼時母と平治の乱を逃れ、源氏を慕いて都より東国に来り、当地に落ちつき祖先の供養と一族の菩薩弔うため、行基作の地蔵菩薩をひそかに、不動明王の胎内に隠し、その不動明王を本尊として一庵を創立したのが茂林庵です。

 時を経て、永正十二年に武田信虎公が駿河に攻め込まれて村々が焼き払われたとき、公の母堂(法名、圭岩明昌大姉)の兄、岩下越前の守に命じ、永昌院二世菊陰端潭師を茂林庵に迎え逆豎兇徒の退散と三辺の村々の侵されないことを祷願して将軍地蔵を安定して一大法要を営ませました。

地蔵院本堂(左)、平安末期、平治の乱を逃れた藤原朝臣茂手木七郎兵衛門信定によって不動明王の胎内に隠され持ち込まれた行基作の地蔵菩薩(中)、涅槃図(右)。

【木造十一面観世音菩薩立像(市指定文化財)】

木造十一面観世音菩薩立像 

菩薩立像が祀られる地蔵堂

 ヒノキ材による一木造りで、像高140.4㎝、面幅13㎝、胸厚20.2㎝です。左手は胸の前で水瓶の頸を握り、右手は数珠を持ち、腰をわずかに右に捻って立っています。この十一面観世音菩薩立像はヒノキの一木から頭体幹部を彫り、後頭部及び背面から内ぼりをする構造になっており、目を伏せたおだやかな丸顔、均整のとれたなだらかな姿態、浅く刻まれた整然とした衣文等に平安時代後期、十二世紀ごろの特徴がよく現れています。またこの仏像は「雨ごい観音」とも呼ばれ、地域の人々の信仰を集めていました。さらにこの仏像は寺本廃寺より移されてきたという説もあり、両腕や両足先等に修理の跡が見られますが、平安時代後期の特徴は失われていません。

23代住職 立川 主税(獨龍巨海)墓碑

~近藤勇の側近、函館戦争後土方歳三を生涯弔った異色の新撰組隊士~

立川主税(獨龍巨海)による書

 天保11年(6年説あり)、筑前国宗像郡鐘崎浦(福岡藩領、現・福岡県宗像市鐘崎)の漁村に、町人喜六の息子として生まれた立川主税は新選組入隊後、局長近藤勇の側近を務めました。甲州勝沼の戦いで敗退し、下総国流山で近藤勇が新政府軍へ出頭した後は、副長土方歳三ともいったん別行動をとり、斎藤一(山口二郎)や安富才助らと共に会津へ向かう。会津戦争が勃発し、仙台へ撤退した旧幕府軍は榎本武揚艦隊と合流。土方歳三らとも合流して蝦夷地へ渡りました。

 箱館戦争にて土方歳三の戦死に居合わせた立川は、陸軍奉行添役安富才助より土方家への手紙を託されて箱館を脱出するも、新政府軍に捕縛され、秋田藩預かりの身となり、明治2年(1869年)9月に青森、11月に東京兵部省へ送検され、その後は郷里福岡藩での預かりとなり赦免された後、日野の佐藤彦五郎を訪ねた後、仏門に入り、元新選組隊士斎藤一諾斎の勧めで山梨県都留郡畑倉村(現・大月市)の曹洞宗岩空山威徳寺に入門、独眼巨海を名乗ります。 明治8年(1875年)、同郡桂村宮下山西方寺の12代目住職、明治18年(1885年)、東山梨郡春日居村(現・山梨県笛吹市)甲陽山地蔵院の23代目住職を務め、箱館戦争時に土方の側近を務めていた立川は、終生その菩提を弔ったといいます。

 明治36年(1903年)に死去、娘の春子が大正13年(1924年)9月、地蔵院に立川の墓を建立しました。

立川 主税(獨龍巨海)墓碑 歴代住職の名が刻まれた碑

交流の深かった榎本武揚が地蔵院を訪れ宿泊した際に書かれた書。本堂内に掛けられている。

榎本武揚

 

桑戸五大尊(桑戸のお不動尊 地蔵院抱)

 藤原朝臣、茂手木七郎兵衛信定が幼時母と平治の乱を逃れて都より東国に来り当地に落ちつき一族の菩提を弔うため、行基作の地蔵菩薩を不動明王の胎内に隠し、不動明王を本尊とし一庵を創建したのが地蔵院の起源とされています。

 この「木造五大明王像」は、天正14年(1586年)に地蔵院から旧桑戸村の表鬼門である現在の桑戸不動堂がある場所に移され、桑戸地区ではこの地域を災害から守る明王として今も尚、信仰を集めています。

 東京国立博物館で2008年9月から3年間の契約で常設展示されておりましたが、2011年12月に桑戸不動堂に戻ってきました。

 五大明王像とは真言密教の5人の明王で構成される像で、平安時代に盛んに造られていましたが、現存するものは少なく、五体揃っているものは京都の東寺・京都伏見の醍醐寺・奈良の不退寺・宮城の瑞岸寺、そして春日居町の桑戸不動堂の5カ所のみです。

木造五大明王像、五大明王像が祀られている桑戸コミュニティーセンターと桑戸不動尊

五大尊

五大尊 (五躰の明王)を祀る、不動明王を中心に東西、南北に位置が定まっているが、この五大尊は一列に並んでいます。

・金剛夜叉明王
三面六臂で顔の中央に五眼をもっている。金剛杵の威力で人間の心の内外の、障害を夜叉のような力で破砕する役割をもつ明王です。

・降三世明王
青色の体をもつ三面八臂の忿怒像で、自在天と娘の烏摩を踏みつけています。煩悩退治を象徴しています。

・不動明王
一面二臂、忿怒相で牙があり、弁髪をたらし、右手に利剣、左手に羂索をもち、火焔を背負う。明王の中で最高神とされ、大日如来の化身ともいわれる、像容にかかわらずやさしい身分で、衆生を救おうという明王です。

・軍茶利明王
全身青色で一面三眼八臂、両手、両足などに赤い蛇が巻きついている。強い力で外敵を防ぐ明王です。

・大威徳明王
全身青黒色で六面六臂六足で、青い牛に乗り、二臂は両手を合わせておる、右手に剣、宝棒、左手に鉾、索をもっており、阿弥陀如来の忿怒形とも、文珠菩薩の化身ともいわれます。すぐれた威徳をもつ明王で、戦勝祈願の対象ともされました。

 

 五大尊のお札をご希望の方へお送りいたします。
 現金書留で1,000円以上お送りいただければご祈願の上、郵送いたします。
 【大札(絵札)は5,000円以上】
 ※返信住所は必ずご記入ください。